ヒグチ ノブユキ
旅のコーディネーター

神社の本当のカタチ  出雲神殿の復活をめざす

これからのぼくの大きな宿題となった。

「日本古来の本当の神社のカタチを復活せよ!!」

もちろん天から与えられた使命である。

 

・神々は三度殺された

特別な生い立ちもあり、幼少の頃より、寺社仏閣を訪れる機会に恵まれている。しかし毎回訪れる度に、神殿のカタチに対し違和感があった。大学院生の頃、その答えをみつけた。日本の地において、日本中の神々たちは、政治利用され、3度殺されている。物部氏と蘇我氏との争いの結果、日本において仏教の勢力が拡大した時、続いて「廃仏毀釈」と敗戦後の天皇の「人間宣言」の時である。この時に、日本古来の信仰だけでなく、神殿のそれまでの伝統もカタチも葬り去られた。

同時にこの体験を通じ、寺社仏閣を研究する際は、縄文時代へタイムスリップし、地勢および地形や信仰、神殿が時間と共に移り変わった変遷を深く深く沈み込んで調べることを学んだ。

 

・幽体離脱で視た神社のカタチ

まるでおとぎ話のような映像になるが、最初は高校生の頃、幽体離脱した時に、天空で龍と出会う。そこで眼下を振り返ると、神社の本当のカタチを視せられた。そこでぼくが目にした映像は、現在は公に観ることができる。どんな人でも目視できる。

2022年6月3日出雲空港を出発してぼくが向かったのは、島根県立古代出雲歴史博物館である。神社本来の姿とそこで出会うことになる。ぼくにスイッチが入った。ぼくのこれからの使命は、

「出雲神殿の復活」

であると啓示を受けた。

 

・古文書にみる出雲神殿

「雲太 、和二 、京三 」

平安時代に源為憲によってまとめられた「口遊」の中に 、当時の高層建築ベスト3が記されている。出雲大社が一番で大和の国の東大寺大仏殿が二番 、平安京の大極殿が三番という記述がある。この頃の大仏殿の高さは一五丈(約46m)であり、出雲大社はそれよりも高いというのであるから、一五丈以上あっても不思議ではない。

出雲大社本殿は高さ16丈(約48m)という社伝が残されている。神話として認識されていた。しかし2000年に巨大な柱が発掘された。柱は「心御柱(しんのみはしら)」や「宇豆柱(うずばしら)」で、鎌倉時代のものと推定される。少なくとも、鎌倉時代まで出雲大社が巨大だったことの証となっている。

金輪御造営図を裏付ける、径1mの柱を3本束ねた巨大な宇豆柱が発掘された。大げさな神話ファンタジーのはずが、巨大な寸法の実物が発掘されてしまった。3本束ねの巨大柱が1本出た。さらに調査団は金輪造営図が「隣の柱がある」と示す場所も掘ってみた。するとそこにも神話のとおり、巨大柱が埋もれていた。配置寸法が正しければ、そこに記されている本殿へ上がる斜路「引き橋」の長さが100m超という数字や奈良の大仏殿より出雲大社のほうが高いという口遊みの話も正しいということになる。 神話のような言い伝えに過ぎなかった、昔の人々が大げさに誇張した話であって事実のはずがないと受け止められてきた、古代出雲神殿が現在の本殿高さ24mを大きく超える48mあったという説は、長らく学会の主流ではなかった。

それが小説やマンガであっても出来過ぎで信じにくいようなドラマが起こり、主流派の学説が一気に逆転させられるような事件が起きた。

 

・出雲神殿の復元イメージ

出雲大社に伝わる「金輪御造営図」に基づき古代出雲大社をイメージすることができる。

出雲大社は奈良大仏殿より高かったという記述、幾度も”転倒”したという記述がある。現在の出雲大社本殿の高さは24mである。現在の本殿も相当大きい。厳島神社の大鳥居の高さが16mであるからそこから想定してもかなりの大きさがある。3本の大柱を束ねて巨大な1本としたと伝える奇妙な金輪御造営図の存在もある。

 

〇ぼくのイメージ

幽体離脱の時に、龍と共に視た姿と日々建物と向き合う中で培われた建築家としての感覚と経験より、古代出雲神殿のぼくのイメージは以下になる。

高床が地面から30mほどに位置している。その上に本殿があって総高さが40メートル以上になる姿をイメージできる。

また地面から3本束ねの極度に太い柱が上へ伸び、本殿床を貫通して屋根を支えている。

事実、現在の出雲神殿は、直径約1mが3列×3列の9本柱により、あの巨大な屋根を支えている。ぼくのイメージからは直感的に、大仏殿を建てることができた技術を用いれば出雲の巨大神殿も可能であると感じる。ピラミッドや奈良の大仏と同じように、土で小山を作って柱を支えておいて柱を組み、後で柱を支えていた土を除去したと推測する。本殿床高さが25mを超えるとなると、クレーンもない動滑車もない時代に、超重量の柱を保つ施工方法を他に想像できない。

 

・コンセプト

2万年前までさかのぼらないと神社の真のカタチはわからない。最初に、ぼくからみなさんへ贈りたい言葉がある。

ポジティブな新しい世界には

「新しい真理」が存在しています

「新しい真理」の中には

今までぼくたちが本気にしてこなかったこと、

夢物語にしかおもわなかったことがふくまれています

なぜ、この言葉を贈るのか、世界中の多くの人は、出雲神殿の復活など夢物語とおもうからである。こんな巨大な建築をつくろうとしているから当然といえば当然のことである。

 

人類最大の発明は何かといえば、「神」である。人類で最初に神に祈ったのはシャニダール人である。愛おしい人が亡くなり、その人を生き返らせようとして、花を手向け神に対して最初に手を合わせたのはシャニダール(ネアンデルタール)人である。死者へ花をたむけた跡が遺跡に残されている。ぼくたちが忘れ去ってしまったものがここにある。いきいきした生命エネルギーあふれる生花をたむければ、愛おしい人が甦ると信じて祈った。シャニダール人の“裸のココロ”、愛おしい人を甦らせてほしいという純粋な魂からの祈りがそこにはある。現在の人類はシャニダール人のような気持ちで神と対話しているだろうか。

 

そしてさらに、わが国ニッポンは神殺しの国である。われわれ日本人は、神を三度殺している。神話の時代には神様と仲良しだった民族であったはず。神を殺すと同時に、日本人が失ったものは「神話」である。

 

12、13才くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる

アーノルド・J・トインビー

ユダヤ人の家庭では、どこの国へ放浪していっても、自分の民族の神話を家庭で教えている。神話の教えを日常生活の中に取り入れている。ユダヤ人と共に神話が息づいているその国々の建物には、思想、精神、行動が形象(カタチ)に表れる。現在の日本の状況をみると、神社が最後の砦となる。ここであえて今のニッポンの状態についてあらためて解説はしない。みなさんも毎日のように暗いネガティブ報道を聴いているとおもう。しかも、ニッポン人はこれまでに3度神々を殺している。

 

神話、先祖の叡智のコードが詰まっているのが「神社」である。神社を復活させれば、日本人の“霊性”も修復することができると、ぼくは考える。出雲神殿を復活させることの大きな目的になっている。復活させるべき神殿のふさわしいカタチは、伊勢神宮かあるいは桂離宮だろうか。長年にわたり日本建築界において、どちらが日本建築の原型かという議論が白井晟一と丹下健三を中心におこなわれてきた。繰り返されてきた論争テーマになっている。しかし、どちらもぼくの神殿プランとは異なる。昭和45年に大阪万博の場において、ぼくと同じことを考えた人がいた。岡本太郎である。岡本が創作した「太陽の塔」が出雲神殿にふさわしい類似参考事例であると、ぼくは考える。

 

太郎は、縄文の土器に出逢い、その2年後に太陽の塔をつくっている。太陽の塔も出雲神殿も表現することは、

「根源から未来へと噴きあげる生命のエネルギー」

「生命の神秘」

「縄文時代の誇らかな生き方」

「原始社会の尊厳」

「生命力のダイナミズム(活力、迫力)」

である。

 

コルビュジェも遺言している。

「日本建築と日本人、縄文から現代までひもとく必要がある」

フランス人に言われてしまっている。日本人は気づいていない。日本人は縄文に還るべきであると、ぼくは考える。日本人の価値基準はふたつしかない。西洋のモダニズムと、その裏返しとしての伝統主義である。ニューヨーク、パリに手放しで憧れるか、いわゆる奈良や京都に残されている〝日本の伝統〟に逃げ込むかのどちらかを選択している。

ゆえに、ぼくのコンセプトは、

「五重の塔ではない日本。ニューヨーク、パリの影でない日本」

オリジナル ニッポン!を取り戻すことである。

 

・世界には2つ特異な国がある

世界には、とても特異ユニークな国が2つあります。ひとつは、バチカン市国で、もうひとつは、わが国ニッポンである。なにが特異かというと、どちらの国においても、国家の最高位にいる人が「神官」であるというユニークな国である。こんな背景の中、伊勢神宮をはじめとして、装飾が多い大陸的なデザインに対して、ぼくは幼少の頃から違和感を感じている。もっとシンプルで白木を使ったデザインがふさわしいと考える。バウハウスデザインに通じ、水平と鉛直のラインで構成されている建築がふさわしい。ブルーノタウトとが驚嘆した、東洋のパルテノンと呼ばれるようなデザインがふさわしいと、ぼくは結論する。

 

古墳と神社とも縁が深い。現在の神社は、古墳、貝塚、古代において亡くなった人たちを埋葬する場所にある。また、神話の中で、日本の神々は海からくる。現在の神社も、縄文時代には岬の突端だった位置にある。現在では海岸線がはなれてしまっていて、現在の神社と海岸線との位置関係からは、とても想像できなくなってしまっている。

 

・”カタチ”に表れる日本人の霊性 “形象美”

なにか”見えざるもの”の存在を感じるのが、日本人の信仰の原点である。自然崇拝、太陽信仰、巨石信仰などが代表的なものである。出雲大社を訪れたことのある人たちならば共感してもらえるとおもうが、素鵞社の裏手に、ご神体の八雲山に直接触れることのできるのは、山肌から巨石が露わになっている場所である。ここの地場のエネルギーは尋常ではない。出雲大社でも神を感じることができる場所は、山肌の巨石である。

 

三内丸山遺跡の神殿に、日本本来の神殿の原型を感じる。全国の神社で執り行われている祭りにも原点、原型をみることができる。諏訪大社の御柱祭では、四本の柱“慈”“悲”“喜”“捨”を社の四隅に立てる。“神氣”神の力を定期的に社へ充電するため、山の新鮮な樹木のいきいきとしたあふれる生命エネルギーを活用する。

 

しかし、画竜点睛を欠いていた。龍の目にふさわしいコンセプトがなかなか決まらなかった。そんな時、出雲で大国主命像を観て降りてきた。霊魂が飛び込んできた。四本の柱に降ろすべき神氣、神のエネルギーは、四魂“荒”“和”“幸”“奇”であるとの御託宣であった。一霊四魂」を具現化したものであるとのメッセージであった。

 

そして、ぼくが考える理想の神殿は、ストーンヘンジのような大湯遺跡、日本古来の集落と神社との関係を示す熊野の大斎原、白木の鳥居が立つ伊雑宮の神米の水田、日本各地に残る巨石信仰の祭壇である。岡本太郎の太陽の塔と共通性がある。太陽の塔に込められている精神性とぼくが復活させようとしているものは共有できる。オリジナル・ニッポン!!である。太陽の塔と出雲神殿は同じコンセプトである。

「縄文の心を思い出せ!」

である。

 

・呪術性 シャーマニズムへ還れ

現在の神社は、全国どこでも整然としすぎ、きれいにまとまりすぎ、大陸的すぎるように、ぼくは常に感じていて違和感をおぼえていた。この形象では、新しいものを創造できない。ヴァナキュラー、土着信仰の要素と力、そして呪術性を神殿に込めなければならない。4つの柱が四魂であれば、祈る人は霊(なおひ)になる。4つの柱に四魂を降ろし、天とつながり祈ることができる施設とすべきである。

 

したがって、出雲神殿は、シャーマン的な祈りの場とすべきであると、ぼくは考える。引佐の浜で神在り月に行う全国から神を迎える儀式、その理由、その雰囲気をみても、ぼくはそうおもう。これも出雲で教わったこと、降りてきたことであるが、神殿を設計する上で“モジュール”のコードは“1”“4”とすべきである。ぼくは、このふたつの数字を黄金比を構成する値としてとらえた。

 

全国の神社にあるような豪華な神殿は、はたして必要だろうか。大陸的なデザインの建物、派手に掲げた千木の屋根は必要だろうか。訪れる度に、ぼくは悲しい気持ちになる。神殿は、四本の柱に神を降ろすための装置であるはず、神と純粋につながれる場所だったはずである。薪能にみることができる、神へ奉納する神楽も能も、神を降ろし一体となる芸能である。それであれば、風、雨、雪を全身に浴びながら祈る場所とすべきである。三内丸山遺跡の神殿は、きっとそうだったはずである。

 

長引くデフレ、迷走する政治、少子高齢化、深刻ないじめ問題、過労死、過疎化、企業の不正や無差別殺人など、高度経済成長以降、明確な中心的価値観を見失った日本は、いつしか暗いムードに覆われ長い停滞から抜け出せずにいる。もはやこれまでの延長線上で、同じような価値観・行動を繰り返していては修復できない状態にある。そんな中、「風の時代」という新たな時代を迎えた日本を再び明るく輝かせたい。次の世代を生きる人たちが誇りをもって生きられる日本を遺したい。そのような想いを込めて、出雲の神殿を復活させたい。出雲が変われば全国の神社がかわる。神在月に全国から神々が集まる。出雲が変われば全国津々浦々の神社が変わる。神社が変わればニッポン人の霊性が変わる。神社という形象に込められているものは、先人から培われてきた叡智であり、精神性であり、日本人が一番大切にしてきた霊性である。それらを神殿と共に復活させる。

 

日本の歴史を知るには、神話と神社に注目しなければならないというのが、ぼくの自説である。神社には、日本の古代史を紐解く神のコードが刻まれていたり、隠されているようにいつもおもう。鹿島神宮の大鳥居は、不思議な方向を向いている。通常の神社設計では、鳥居は本殿の方向を向いているケースがほとんどである。たいていのケースでは、鳥居をくぐり真っ直ぐ進めば本殿にたどり着く。鹿島神宮本殿は参道の途中にあり、北向きに建てられている。とてもユニークな設計だといつもおもう。この不思議な設計の起源となっているのは、太陽信仰だと考えられる。その理由は、大鳥居が向いているのは太陽が昇る方向である。とても、シャーマニズムを感じる。鹿島神宮は、元来、太陽そのものを拝むために設計されている。

 

神社は、3世紀と4世紀の間に、現在のような建築様式になった。それまでは、わが国の民衆は、太陽や山や巨石など、日本のストーンヘンジと呼ばれる大湯遺跡のようにして、自然を拝んでいた。鹿島神宮は、本州の中でも最東端に位置している。最も早く「日の出」を体感できる場所である。さらに、素敵な設計になっている。粋な計らいが、施設に隠されている。日没の時間になると、参道より鳥居の方向を見返ると、ちょうど太陽が鳥居の中に入るように設計されている。元来、ニッポン人は、太陽信仰であったとおもう。太陽信仰であったという考えを中心におくと、神話や神社、日本人の霊性について、実にさまざまなことが謎解ける。

 

ぼくたち日本人は、太陽が昇る場所を求めて、極東である日本を目指した。そして、日本の最東端である鹿島神宮の辺りに人々が辿り着いて、関東の地域で暮らし始めた。縄文時代には、関東周辺で大きな太陽信仰の国が栄えていたとおもう。この太陽信仰が基盤となり、日本ではアマテラスを最高神とする信仰が生まれたと考えるのが自然だと、ぼくは考える。太陽を起源としてさまざまな観点より、日本の神話と神社、古代史を感じることができる。我々先祖たちのロマンティックな計らいだとおもう。ぼくたち日本人のルーツをさぐることができる。日本の古代史は、太陽との関係性だけでは理解できないことが多々ある。もう一つ、避けることができないテーマがある。日本の古代史を解明する上で、避けては通れない重要な史料がある。それは、「日本神話」だとおもう。神社の謎を解くことで、神話がいかに密接に歴史と結びついているのかを解明していきたいと、ぼくは考える。

 

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【レイライン紀行】神秘建築ツアーシリーズ第1弾 『神秘建築家』 ヒグチノブユキ先生と行く 富士山信仰浅間神社5社巡りと金運神社

 

関連書籍

ぼくの神秘建築 幸せを引き寄せる家づくり

建築に秘められた運命を明らかにすることで、家づくりにおける「目に見えないものの存在」について明らかにしていく。「出雲神殿の復活」を目指す神秘建築家による、「21世紀型」建築家のための必読の一冊。

著者:神秘建築科 ヒグチ ノブユキ

出版社:文芸社

出版:2022年秋予定

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この記事を書いた人

ヒグチ ノブユキ
ヒグチ ノブユキ
神秘建築家(一級建築士/まちづくりプランナー)-幼少の頃にスカウトされ陰陽師に師事し中学生の頃より本格的に修行がはじまる。大学および大学院で建築、都市論を学ぶ。
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