多田美波先生を偲んで・・おわかれの会(5月30日)

多田美波先生を偲んで・・おわかれの会(5月30日)

s-多田美波研究所 011

帝国ホテルのロビー壁面のガラス彫刻(写真のバックがその彫刻です)・光の間・及び皇居の春秋の間など、アルミなどの工業用品やクリスタルガラスなどを外光との組み合わせで、素晴らしい輝きに変える【光の彫刻家】多田美波先生が、3月20日に逝去されました。

5月30日、この日はおわかれの会・・・・
なぜそんな有名な先生のところに?とおもわれますよね。先生は台湾のお生まれで2001年台湾の台北と高雄で個展
をひらかれたのです。そのお手伝いをさせたいただいたのがご縁というわけ・・・
11月の連休でどこもグループ席がとれなくてこまっていたところ、台湾の交流協会(日本とは正式国交がありませんので
ここがいわゆる日本領事館にあたる窓口です)から、回り回って弊社に連絡が入り、これもタイミングのなせるわざ、いと
も簡単にお席が用意できてしまったのです。本当にご縁です。
ご予約をおうけしたものの・・・。なにしろ著名な先生のことですから、ご参加くださるかたも半端ではありません。
個人情報保護の関係で詳細を記載できないのは、はなはだ心苦しいのですが、某有名大学から、芸能人・評論家・芸術家等々・・・そうそうたるみなさまのお手配アテンドをさせていただいたわけです。

つたない業界歴ですが、記憶に残るお仕事はいくつかあります。そのうち最も印象深いものの一つが多田先生の個展オープニングセレモニーの旅です。個々のご参加者のみなさま方との、緊張したやり取りもさることとながら、美食家である先生におしかりを受けぬよう、また先生のご存知のお店は極力かぶらないように配慮して、準備をすすめてまいりました。

当時、先生は展覧会の準備でお忙しいなかでも、私たちにもとてもきずかってくださいました。
先生の研究所の岩本所長はじめ皆さま方が、ゲストの方々への対応などご助言くださり、また先生にも繋げてくださったので単なるツアー企画でなく、大きなイベントを共にやりあげた感もあり、同志のような心もちから、すっかり家族のようなお付き合いをさせていただく流れになりました。また、多田先生の作品の制作にかかせない、素材の提供と組立などをされていらした通称:多田組なるおじさまたちとも意気投合し、ツアー中は助けていただきました。

今でもわすれられないのは、多田先生のご挨拶
司会から促されると、先生はなんと車椅子から立ち上がり、しっかりとした足取りでマイクの前にたたれて、力強い声で
お礼の言葉を口にされました。
私は芸術のことはわかりませんが、先生の作品のうつくしさと、先生の凛とした姿に、涙がでそうなほど感激しました。
かっこいい!・・・カッケー・・と今風にいうとそうでしょうか?

この個展は、高雄でも開催、その後上海での個展など、都度お手伝いをさせていただくことができました。
時々、研究所にお邪魔しては美食家の先生のご相伴にあずからせていただいたのも楽しい思い出です。
先生もご高齢でいらしたので、このところの体調はいかがかと思っていた矢先の訃報でした。
本当に残念です。

研究所の岩本所長からご連絡いただいた時は、すでに密葬がすんでおりました。
先生のご遺言。事細かにご指示をされて逝かれたそうです。最後まで、やっぱり格好いい先生です。

帝国ホテル・・・光の間
先生の愛してやまないこのお部屋がおわかれの会の会場でした。
岩本所長のご挨拶には、涙がこみ上げてきそうなのをこらえるのが必死でした。
著名な方々の挨拶の最後は、帝国ホテルの社長さまがつとめられ、帝国ホテル全従業員3500名を
代表して先生に感謝申し上げます。・・からはじまったご挨拶は本当に尊敬と感謝のこもったすばらしいもの
でした。
多田先生の作品は、この光の間の天井の他、ホテル内に全部で10点あるそうです。
どうぞみなさまも、帝国ホテルへいかれたときは、光の芸術家・多田美波の作品とぜひ語り合っていただきたい
と思います。

多田美波先生、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
そうぞ、ゆっくりとお休みください。これからも、多田美波研究所のみなさまとのご縁をつなぎ、先生のご功績を
繋げていかれるみなさまと、お付き合いをさせていただきたいと思います。
j光の芸術家は、本当の光になられ、ずっと私たちを見守っていただきたいと思います。
本当にありがとうございました。

s-多田美波研究所 019

帝国ホテル・光の間(天井はすべて多田先生の作品)

s-多田美波研究所 037

先生のメモリアル 綺麗・格好良い

 

s-多田美波研究所 033

岩本八千代所長と