今年の7月。慰安旅行として福岡・長崎へおでかけくださった高沢建設様、その節は本当にお世話になりました。そのご旅行の際、一緒に参加されたご家族のお嬢さんが書かれた「添乗員」についての感想文が(富士地区教育研究協議会・発行)「文集 ふもと」に掲載されたとのことをお聞きし、読ませていただきました。ちはるさんのみずみずしい感性にただただ敬服。また、ちはるさんの言葉によって、わたくしども旅行会社が、旅を通じて何をお伝えしたいのか・・自分たちの使命、役割をあらためて感じさせていただきました。
まさに「初心にかえる」よい機会をあたえてくださったちはるさん、高沢建設様にあらためて感謝申し上げます。これからも“初心忘るべからず”、日々精進させていただきます。
ご本人承諾の元、感想文をご紹介させていただきます。
「添乗員」 富士 佐野ちはる
私は、長崎へ旅行に行った。それは、父が働く会社の旅行だった。私は、母・祖母と飛行機に乗り、長崎へ向かった。
長崎に着き、バスや路面電車を乗りつぎ、お昼から父たちに合流した。そこには、父をふくめた会社の人たちと添乗員さんが一人いた。私は、添乗員という仕事について何も知らなかった。最初はガイドさんと変わらないと思っていた。昼食が終わり、お土産などを見た後ある施設を見学した。その施設に入るには、チケットが必要だった。全員がお土産を見終わり集合していると、知らぬ間に添乗員さんがチケットを買い、配っていた。そのおかげでスムーズに施設に入ることができた。
(なんか、すごい。)
私は、そう思った。
その施設に入ると広くて、会社の人たちとの間が開いてしまい、私は迷ってしまったらどうしようと思っていた。そう思いながら歩いているとなんと添乗員さんが私達を待っていてくださり、道を案内してくれた。そして、景色を見た後移動しようとしたとき、ものすごく暑い気温の中、添乗員さんは走り出し、誰よりも先に行き、曲がり角に立って道を案内していた。
(すばらしい仕事だな。なんであそこまで頑張れるのだろう。)
私は心からそう思った。
父と添乗員さんがなにやらこの後の日程について話している。よく聞いていると、次の日の時間と今日の時間の残りを考えて、計画を変更するようだった。父は、添乗員さんの提案に納得したらしく、その後は添乗員さんの提案どおりにすすんだ。そのおかげで次の日はお土産を買う時間がたっぷりととれた。だんだん「添乗員」という仕事が分かってきた。ガイドさんは、次に行くところや、街の案内・説明をするのに対し、添乗員さんは、計画がスムーズに進むように考えたり、旅行先のチケットや宿泊先を手配したりする仕事だと、私は考えた。そう考えると、本当にすばらしい仕事だと思った。もちろん、仕事だからやっている、というのもあると思う。だが、それだけの気持ちでは「添乗員」という仕事はできないのではないかと思った。仕事をする、という自分のためだけでなく、旅行がスムーズに進むように、旅行が充実するようにという、私たちのような「客」のために動こうという気持ちが大切ではないかと思った。その、人のために働こうという気持ちはすばらしいことだなと思った。それと同時に、私も人のために働けるようになりたいと思った。
私は、将来建築関係の仕事につきたいと思っている。それは、人のために働ける仕事がいいと今回のことをうけて思ったからだ。
この旅で添乗員さんに出会ったことでたことで、思ったこと・感じたことがたくさんあった。今回、添乗員さんに案内してもらったことで、旅行がスムーズにすすみ、してもらった側の私はとてもうれしかった。自分が人のために働くことで、相手にはありがたく、うれしく思ってもらえるようなことを自分からできるようになりたい。将来でなくても、今からできることをさがして、人のためにできることを頑張りたい。