2013年9月12日~19日
今回の旅は、最初から最後まで、いえ現在も続いている不思議な旅のご報告です。
いつもの添乗報告とは違います。なぜって添乗員じゃないから(笑)。
渡航自粛・邦人国外退去命令の出いるエジプトにこの時期渡航するということは、
国の指導に逆らうことですから、何かあったら超迷惑な団体でしかありません。
行くというより、だからこそ行かされた、そんな不思議な旅の話です。
今のエジプトは、私たちの帰国にまるであわせたように、翌日から海外渡航情報が1段階引き下げられました。
国の一番の収入源は観光。
まるで国中が世界遺産のようなエジプトにおいて、観光客の激減は国の財政を揺るがす一大事です。
早く落ち着いて、安心して旅の出来る国になりますように。
渡航を計画されている方は正確な情報を入手されてお出かけ下さい。
ちょっと現実離れした話にもなりますので、興味のあるかただけお読み下さい
尚、この旅の詳細は、浅野重人(日本人には不可能といわれたラフティングチームを世界一に2度も導いた指導者)ブログ エジプト・宇宙神事 および
鳴海周平(心と身体を癒す自然食品販売会社社長)ブログもご参照下さい。
エジプト行きのお誘いを受けたのは6月の終わり頃でした。
2年ほど前からご縁をいただいているある著名な方と、久しぶりに淡路島のパワスポ巡りでご一緒させて頂き、
その時の反省会?をしようとおあいした席でのこと。
添乗員でもなく、同じ旅の友としてのお誘い。そして、現地の手配をおねがいしたいと・・。
ですからいつもと勝手が違います。それに、なんだか参加メンバーは不思議な方々ばかりです。
エジプトへいく目的は祈りにいくこと。
たくさんのピラミッドに入りたい。
意味のある場所へ沢山いきたい。
これは普通の旅ではないので、いろんな事が起きてくるだろうけれど、どうしても行かなくてはいけないの。
そして、一緒に行く人も、ず~と前から決まっているの。・・だから、一緒に行こう・と
突然ですが、みなさま、当社の社名、レイラインの意味、ご存じでしょうか?
世界中にある、いわゆる聖地といわれる場所をつないでいくと・・なんと一本のライン上に存在し、
そのライン上を旅するだけで人が癒されたり、
元気なエネルギーをもらえる不思議なエネルギーラインの事をレイラインと呼ぶのです。
当社にご用命いただいたお客様が癒され、そしてまた元気を受け取れる。
そんな旅をお届けしたいと、2001年1月に社名変更させていただいたのです。
1994年12月に会社を設立、翌4月に旅行業の登録が完了し実際に動き出したのはゴールデンウイーク直前でした。
3人で始めた会社は、繁忙期からの稼働も相まっておかげさまで忙しくさせて頂き、
年末まで一日も全く休みなどとれず、暮れには三人とも交互に過労で倒れるといった状況でした。
このときに、専務の病気がきっかけでホリステイックアロマセラピーと出会い、
現在はJHASの提携校として、ホリステイックアロマセラピスト&クリスタルヒーラーを養成するスクールも営んでいます。
もともと、不思議な事や、自分はどこから来たのか?
生きること、死ぬ事ってどうゆうこと。
などと小さな頃から考えていて、変な子供と思われていましたし、
親しい友人の突然死に直面する中で更にその思いは加速し、
いわゆるスピリチュアル系や、あやしげな新興宗教にあわや入信の手前までの経験もしてきました。
会社設立は、
顧客に対する考えや、自分の創りたい旅と組織での考え方の乖離が一番の原因でしたが、
会社経営の中で、自分の思いと違う方向に流されていく危機感を感じた時、
いろんな出会いから、21世紀に向けて、社名を変更することによって、内側から変えていこう。
そんな思いが募り、今思い出しても不思議としかいいようのない流れで、この名前と出会うことになったのです。
風水先生レイラインを行く 荒俣宏コレクション2 神聖地相学世界編 (荒俣宏コレクション2) (集英社文庫) (1997/12/12) 荒俣 宏 商品詳細を見る |
ですから、今回お誘い頂いた事、お手配をさせていただける事にはわくわく一杯でした。
もちろん、ハイ行きます!と答えている自分がおりました。
余談ですが、当社のロゴは、あるご縁で出会わせていただいたデザイナーさんに、
レイラインの意味を生かせるシンボルをとお願いし制作いただいたものです。
〔人々の進むべき光の光源を図形化したもの〕であり、このマークが放つ振動波に導かれ、
本来の自分自身に出会っていく大きな役割をもつシンボルであると伝えられましたが、
このマーク、実はこの旅で大きな意味を知ることになることなど、この時全く想像も出来ませんでした。
さっそくエジプトのコース作成に取りかかります。
観光客の激減から、フライトキャンセルの航空会社もあり、
カタール航空でルクソールからカイロへと周遊するコースに決定。
テーマは【祈り】できたらピラミッド貸し切りたい・・まあ、できなくはないのですが・・
ここから、目に見えない何かに導かれるような出来事がスタートしたのです。
このコース。実はエジプトの歴史を追って行く流れにそったものに成っており、
はからずも私たちは、過去から未来へのルートをたどることになるのです。
参加者は8名、一同が会し打ち合わせ、粛々と準備がすすんでいきます。
すると・・エジプトがなにやら不穏な様相になってきました。
カイロからはじまったデモは、しだいに激しさをまして、地方にまで飛び火していきました。
日本の外務省が日本人海外渡航者にむけて安全・注意を促す海外渡航情報は、
日々危険度が増し、出発予定日のほぼ1ヶ月前には、
渡航延期勧告そして渡航自粛・おまけに在エジプト在住の邦人には国外退去命令まで発令されました。
現地の国営旅行社には都度確認をとっていましたが、
当初は「日本で報道されているのはとてもオーバーです。そんなに大きな騒ぎではありません」、との回答だったのが、
日増しに雲行き怪しく。
「ほとんどがキャンセルになり、御社と、もう一組しか9月のオーダーはありません。本当においでになりますか?」
と聞かれるほどになってきました。
それでも、誰も止めようとは口にしません。
こういうときだからこそ行かなくちゃと。
何かあったら大変です。うちのような零細企業はふっとんでしまいます。
どこかで間際にキャンセルになるのかな?と頭をよぎるも、きっと行く流れになるに違いない。
こうなると私も本気モードで対処しなくては。
結局3人キャンセルになり、私を含め5名で向うことになりました。
渡航延期勧告の中の渡航、こりゃ外務省にも観光庁にも大目玉をもらいそう。
ですが、不思議な出来事ってあるのです。
いわゆるお試しというもので、現実はこんなに厳しいですよ、それでも来ますか?
そんな中で、大丈夫、大丈夫、誰かがずっとささやいている気がするのです。
でも、現実は、現実。
リスクを負っての出発ですので、自己防衛の為、自己責任での渡航ということで皆様からの一筆念書をご提出頂き、
絶対だれかに迷惑をかけない、事故にもあわないと心に誓って、機上の人となりました。
カタール航空では途中ドーハまでは満席。
ドーハの空港内、高級車だって販売してます。誰が買うんだろう?
そこから乗り継ぎルクソールへ・・。 総員20名程度しか搭乗していません。やっぱり!。
ルクソールの空港では、銀行から入国審査官から、総出で出迎え大騒ぎです。
「よくきたねえ日本人を久しぶりにみるよ。」
「ルクソールは安全だよ」
「最高の町だから楽しんでいって・・。」
職員がそれぞれ大声でいろいろ騒いでおります。
入国審査でこんなにもりあがっている国初めてみました。(笑)
中途半端な日本語があちこち飛び交います。
迎えのバンはトヨタのクルーザータイプ、荷物はどこへ?なんと屋根の上。
写真を撮れとか、トレイはいいか?とか色々言うので、なにをそんなに時間をかけようとしてるかと思えば、
なんとカイロからガイドが到着していないことが判明
(後に、カイロ市内は外出規制がされていて、ガイドが早朝の飛行機にのれなかったらしいと解る)
なんだ~、正直に言ってくれればいいのに。
ガイドの到着をまって、ルクソールの市内へ向かいます。
「この地のものを口にしなさい」って。
不思議な5人組の一人は、どこからかの声をキャッチし、伝えてくれます。
「果物でもなんでもいいよね?」
昼食のご用意はあるものの、その声に応え市内のお店に立ち寄りエジプト版ファーストフード、〔クシャリ〕をいただきます。
浅野さんは、昔、早稲田大学の考古学研究室のお手伝いで、
かの吉村作治先生のエジプトの発掘調査に関わっていたとかで、
古い記憶がクシャリの一口で、よみがえってきたようです。
クシャリ・・・めちゃくちゃおいしいですよ。
9月のエジプトはまだなにしろ暑い。
日中は無理をせずホテルでゆっくりすごし、涼しい朝晩に観光に出かけるのが効率的。
クシャリをいただいた後はとりあえずホテルへ・・。
ホテルへ着後、すこしゆっくりしてから昼食に行きましょう。と思いきや、
まずは我々の目的をちゃんとガイドのアムロ君に伝えようとお茶の時間です。
彼はこんな時期に来る日本人だから、きっと変わっていると思っていた。
思っていたより、まともだったよ。とわかったような、わからないような・・
でも通常の観光目的とは違う事だけは理解してくれて、なんでも協力するよと約束してくれました。
ナイル川をのぞむ5つ星ホテル ナイルパレス ガイドのアムロ君
昼食は別なホテルのプールサイドで洋食のセットメニューをいただき、
まずはルクソール神殿へ
エジプトを旅するには、紀元前3000年からの古代王朝と、エジプトの神々を知らないことには始まりません。
今から3万年も前からの歴史を神殿の壁画をひとつずつ確認しながら、
意味が理解できはじめると、神殿巡りは百倍楽しくなります。
高くそびえるオベリクスや神殿を前に、これどうやって建設したんだろうと思いだすと、夜も眠れなくなりそう。
(ちょっと古かった)
まったく観光客の人影もない神殿を私たちだけがひとりじめ。
だれにもじゃまされず、ゆっくりと神殿を巡り、壁画にかかれた古代文字を読み解き。
ゆったりと時間がながれます。
オベリクス、本当は対でもうひとつたっていたのだけれど、いまはパリに建っているよ。
エジプトの貴重な遺跡は、世界各地にちらばっています。
友好の証として時の権力者にプレゼントされたもの、
強奪されたもの、
いつの間にか流れ着いた物。
それぞれ意味があってその場にあるのでしょうけれど、元いた場所へそろそろ帰してあげたいですね。
ルクソール神殿の数カ所で、私たちはお祈りをしました。
といっても何かの宗教だったり、お経のようなものを唱えるわけではありません。
私は自分が、「昔からの約束だった」と誘ってくださった。
その言葉でここまで来ているのですから、祈るということすら理解できていません。
でも、だれかがこうしなさいと教えてくれるわけでもないのです。
私もクリスタルヒーラーの端くれですから、
ただその場で感じるままに、
この場にいる感謝の思いと、
この地が平和で光にあふれるようにと、
クリスタルを握りながら、それだけを思い続けていました。
日本にいるときは、毎晩同じ時間に全国の同じスクールの仲間が地球にエネルギーを送るというセッションをしています。
それは感謝の思いそして地球の平和や宇宙までが光につつまれる感覚なのですが、
それはいま、約束の仲間が一緒にいて各人がそれぞれのやり方で【祈る】ことと同じであり、
だれも間違っているとか、
こうするべきとか一切の制約がない。
自分なりに感じて思うことただそれだけなのだと感じました。
だ~れもいない
その後、町中をすこし散策。
観光客が少ないので、お土産やさんも半分は締め切っています。
その分、開いているお店の商魂たくましいこと、・・・日本語と英語をごちゃませ。
こちらの値引き交渉には、言葉わかりませんのジェスチャー、敵もさるものです。
しばし、ショッピングと水たばこ体験を楽しんで、ライトアップの美しいカルナック神殿へ。 カルナック神殿イルミネーション
初めて団体観光客と出会いました。
ほとんど欧州からのようです。ドイツ人が多いかな?それに韓国人の団体。
ガイドのアムロ君曰く、今ルクソールにいる日本人はあなた達だけ。・・は嘘ではなさそうです。
貸し切りで~す
ホテルへ・・
私事で恐縮ですが、実はこの日は私の誕生日。
カルナック神殿で、王妃の像の前で、今日は王妃の誕生日だよの説明に、おもわず「私も誕生日。」
とガイドに耳打ちすると、アムロ君が怪訝な顔をして、
ひとこと、「この王妃はエジプトの3大美女といわれるひとりなんだけど・・」ってどういう意味かしら?
ホテルにもどり、夕食のレストランへ。
楽しく食事開始の時に、突然に歌声とケーキが・・・ レストランスタッフも総出でお祝いをしてくれました。
エジプトで誕生日を迎えるなんて、なんてことでしょう。
みなさまありがとうございます。
サプライズをお客様に提供するのが大好きで、お客様の笑顔をみるのが何よりうれしいのですが、
自分がされる側になると、照れますねえ・・
でもずっと昔からご縁があったとおもえるみなさんに祝って頂き、うれしい夜でした。
おまけにこの夜。大好きなアロマの先生からもお祝いメッセージが・・・・幸せ~な一日でした。
第2日目
ホテルを出発し、まずは王家の谷へ、
60を超える墓が発掘されているこの谷は、ルクソールでは一番の観光地でありながら、やっぱりお客さまおりません。
墓も十数カ所が普段は公開されているも、本日の公開は5ヶ所のみ。
そのうちの見たいところ3ヶ所と、かの有名なツタンカーメンの墓を見学します。
遠くにみえる王家の谷の山
中は撮影禁止・カメラをあずけて専用車に乗り換え
ラムセス4世・うつくしい壁画のラムセス6世・メルエンプタハ(もっとも最近発見)を見学
なぜか撮影、墓内の壁画
観光客が少ないので、ゆっくりと見学し、祈りを捧げ、4ヶ所のお墓を巡って外へ出たら驚き。
な~んと沢山の観光客。団体さんいらっしゃ~い。
そして、ハトシェプスト女王葬祭殿へ。
ここは、1997年にルクソール事件といわれる観光客への無差別テロがおき日本人観光客を含む61名もの尊い命が犠牲になったところ。
この場所が・・・と思うと切ない思いがこみ上げてきます。
しかし、暑い灼熱の太陽の下でじりじりとやかれているように刺す太陽の元にありながら、
この場所はなんだか冷たく暗く重く感じます。
正面より右手の広間は、なんともいえない獣臭がただよい、
だれもいないのに人の気配がするのです。
ここで祈り終わると臭いがすっかりと消えていました。
この上からテロの銃撃がおこなわれた。何処にも・・・隠れるとことろなどない。
新王国時代絶頂期アメンホテプ3世の葬祭殿(当時は権力者の葬式に使用する目的だけの為に祭殿が造られた)前に
唯一現存するメムノンの巨像に立ち寄り、昼食後、アスワンへむかいます。
ただひとり、アメンホテプ3世のメッセージを受け止めに・・・
ここで、初めてのトラブル。なんと車が故障、用意された2台目も調子が悪く、
3度目の正直の車に乗り換えるまで、有に1時間以上はロスタイムです。
でもこの一時間はとても貴重な時間になりました。
ガイドのアムロがこれまでのみんなを見ていて正直な思いを聞いて欲しいと話し出したのです。
最初はとても攻撃的でした。多くのエジプト人がそうであるように、彼もイスラム教徒です。
「君らはだれに祈っているのか?アラーの神の他に祈るべき神はいない」・と。
「アラーの神もキリストもユダヤも、日本には八百万の神々もいる、そういった個別の神に祈っているわけではないんだよ。そういったもののすべてを包む大きな源があるんだと思うんだ。」
仲間の答えに、彼は沢山の質問をし、そしてみんなが思い思いの返事を返していく。
それは、彼のプライベートな悩みにも及んでいった。
アムロは「ありがとう。僕はやっとみんなの気持ちがわかった気がする。」
その答えをまっていたかのように、用意された新しい車に乗り換え、アスワンへ向っていった。
人はとても弱い生き物です。
だから自分の生きる心のよりどころが宗教だったり、占いだったり、なにか背中をぽんと押してくれるものがほしいのです。
どこに結びつくのか、それが一番の問題。
そして、多くの人は自分の信ずる物以外を否定し、攻撃し決して相容れようとしません。
エジプト人、日本人といわず、、相手を尊重し理解し合う。
それにはやはりコミュニケーションをとることしかないのだと思う。
とにかく相手の話を聞いてみようよ。お互いの立場を主張するだけでなく。
悲しい戦争もきっとなくなるはず。みんな地球の子なんだから。
途中、ホルス神殿とコム・オンボ神殿に立ち寄り、すっかり日の落ちたアスワンへは21時すぎの到着でした。
ホルス神殿は、あまりの観光客不足に予期せぬ閉館。
ガイドのアムロ君の大活躍で開けて頂いての見学でした。
ひととおり、神殿を案内された後、小さな真っ暗な小部屋から、
私を呼ぶ声が・・・不思議な空間でまた祈りに時間が持たれました。
ここでは、私は真っ暗闇の中に一筋の光の柱をみさせられました。
もちろん だれもいずはずもなく 向こうに見えるホルス神殿
コム・オンボ神殿に到着したのはすでに20時。
19時で閉館の神殿には、アムロ君が連絡をいれてくれることで、美しいライトアップに迎えてもらえました。
車の中で語り合った後、アムロは私たちがしたいことを理解し、すばらしい案内人として、準備を整えてくれるようになりました。
イルミネーションに迎えられ、もちろんここも貸し切り
アスワンのホテルはスタンダードルームでの手配にもかかわらず、
観光客の少なさから、なんとナイル川沿いのコテージに全員がアサイン。贅沢な夜を過ごしました。
3日目
昨晩の夕食時、少数民族を訪ねたいの言葉に、・・エジプト人とは異なる独特な文化をもつヌビア人の村を訪ねることになりました。
とはいえ、今日は飛行機で移動のはずがフライトキャンセルで陸路へ変更になっていますから、
相当スケジュールがつまっています。
早朝5時に村へと出発です。 アムロがみんなに見せたかった・・という言葉の意味がわかります。
ナイルってこんなに美しかったの?というほど、透明度のある水と美しいい日の出。
なにげに写した日の出は、水に写り、なんとピラミッドが重なっているようです。
ヌビアの村の村長さんを訪ねました。
ヌビア村でみる織物などはどこかアイヌに似ています。
世界中の少数民族は、織物などなぜか似たものが多いのだそうです。
距離を越えてどこかきっと繋がるご縁があるのでしょう。
ハイビスカスティーをご馳走になってそそくさとホテルへもどり、
15分で朝食をすませていざアブシンベルへと向います。
地元警察で小銃をたずさえた警官が乗り込み、ちょっと緊張しましたが、車は砂漠をひた走ります。
砂漠の向こうには蜃気楼。
あちこちに小型のピラミッドも並んでいます。
エジプト最南端の見どころ、スーダンの国境もすぐ目の前のアブシンベル神殿に到着です。
増大するエジプト人口に、電力供給と水の確保等の目的で建設されたアスワンハイダム、
アブシンベル神殿はこのダム建設の影響で水没の危機にさらされたところをユネスコの国際キャンぺーンにより、
世界中の英知を集めて4年の歳月を掛け、もとの位置から60m上にそっくり移動に成功したのです
アブシンベル神殿、まったく人影なし。
いまから3300年前自己顕示欲が強かったといわれるラムセス2世が、カルナックやルクソールと並び建設したもの。
砂にうもれていたというこの神殿は、1813年にスイスの学者が発見。
どんな風にみつかり、どうやってその姿を現わしたのか?
「飛行機が飛んでいないから、おそらくあなたたちの貸し切りだよ」、そう言われてはいたものの。
どんなガイドブックにだって人影のない写真なんて見当たらないのに・・だ~れもいない!
神殿の奥でみなで祈りそして、ダムができたことで気象環境に大きな影響を与え、
川も淀んでいるといわれた水辺で祈ると、その間中、たくさんの魚が岸辺に集まり、
そして終わると同時に沖に消えていった。
あやしい人ではありません。エジプトの民族衣装・ガラぺーヤ、初日にオーダーしました。
ランチは車内で、エジプト弁当風(笑)を頂き、アスワン空港に向います。
空港へはちょっと早めに到着し飛行機を待つ間は・・・・アルコール発見。
日本から持参したつまみを手にビールで乾杯。
盛り上がりながらちょっと一息です。
さて、いよいよ空路でカイロ入りです。
スーツを着込んだ日本人数人に初めて出会いました。
機中で素晴らしい夕焼けを見ながらカイロ空港着、ホテルへ向かいます。
なんとしても日没までにホテルへ着いてほしかった・・
なぜって?宿泊ホテル・メナハウスオベロイは、ピラミッドビュー。
つまりお部屋からピラミッドをご覧いただけるのです。
残念でした。
しかしながら、月明かりで薄ぼんやりと浮かぶシルエット。幻想的、これはこれでGOODです。
部屋からみえるピラミッド
ホテルの廊下・・・さすがゴージャス
さて、明日はいよいよクフ王のピラミッド、他、数々のピラミッドに出会う日です。
4日目
ホテルのま裏がすでにピラミッドの入り口。
ギザの3大ピラミッドまで車で1分。 最も有名なクフ王のピラミッドへ入ります。
世界の7不思議といわれるピラミッド。
クフ王の巨大なピラミッドは、平均2.5トンの石を230万個も積み上げられて創られており、
その建築方法には学者によって様々な説がある。宇宙人説だってある。
実際、ピラミッドの前に立ち、そびえ立つ高さ146mもの頂上を仰ぐと、
4500年も前に果たして人間の力でできるのだろうかと??とおもわず、宇宙人説に納得したくなります。
世界で最も混み合うといわれる観光地ピラミッド。
クフ王のピラミッドは通常は入場制限がされています。
あまりに沢山の人が一度に入場すると、その体温で室内の湿度と温度があがりすぎ、
建造物に影響を与えるというのが理由です。
しかし~観光客の姿はちらほら。そして、だれもピラミッドには入りません。
またまた貸し切り状態です。
いざ、入場。
入り口は盗掘用に開けられた箇所。いまでもそこがピラミッドの入り口です。
天井も低く、背中を不自然な形に曲げて通過しなければ行けない場所もあり、
延々と長い階段を歩いて行くと、突然にひらける玄室空間。
外からは、こんな空間があるなんて想像もつかない場所に行き着きます。
さあ、この場での祈りは・・
おもわず持参したピラミッド型のクリスタルを真ん中におくと、
旅の最初からみなにそれぞれ持ってもらっていたクリスタルを床に置き、祈りが始まる。
そして仲間の歌声がピラミッドの中に響き、溶けていった。・・・
湿気を外部に逃がすための空調機が作動する音が響いていたのを、
そっと私たちの様子を伺っていたピラミッドの監視人さんが止めてくれました。
おとずれた静寂。
空調機から落ちる水滴の音だけが室内に響き、言葉に表せない不思議なエネルギーに部屋全体が包まれました。
只、置いただけなのに、角が欠けていた。
破片はどこにもみつからない・・・ もしかして、母の胎内ってこんな感覚だろうか?
いつの間にやら、床に大の字にねそべったり、まるで赤ちゃんにかえったようにま~るくなったり、
5人それぞれが思い思いにこの空間の感覚を感じています。
ピラミッドでは物が腐らない。ピラミッドでは集中力が高まる。瞑想すると悟りがひらける。そんな諸説もありますが、全部正しい。
そんな感覚がわいてきます。
もうそろそろいいですか?監視人に促されて、また細い回廊をもどります。
途中1組の欧州人カップルに出会っただけ。
結局1時間以上もピラミッド貸し切り状態だったことが外へ出てからわかりました。
あまりに、ふわふわした体験だったせいか、その後スフィンクスでおきまりのキス写真を撮ったあとは、
なぜだかみんな出口に向ってしまい。
当初入場予定だった他のふたつのピラミッドには入らずじまい。
まあ、又来なさいってことだからね。ホントにみんなポジテイブです。
昼食は3大のピラミッドを眺められるロケーションのレストランでエジプト料理を頂き、
午後は、世界3大ガラスのエジプトガラスや、パピルスなどショッピングを楽しんで、ホテルへ
夕食は、宗教舞踊のスークがみれるというので急遽デイナークルーズへ変更。
目的のスークと本場ベリーダンスを楽しみました。
ぼけているのではありません。早すぎて写せません。30分以上クルクル回りっぱなし。
5日目
今日はエジプトのピラミッド発祥の地、サッカーラ街道へむけて車は走ります。
まずは街道の町 ダフシュール・赤のピラミッドへ。
赤のピラミッド
現存する真正ピラミッドとしては最古
このピラミッド、どのガイドブックにも書かれているけれど、とにかく臭い。
目に痛いほどのアンモニア臭ともろもろ・・。
急傾斜の階段をさがっていくとますます臭いがきつくなる。目も痛いくらい。
やっとたどり着いた玄室はには、ゴミがちらかっています。
ガイド曰く、トイレがないからこのあたりの遺跡の修復にきていた職人がトイレにしていたから。と言い。
管理人のおじさんは、片言英語で、ここに使われている石からその臭いがでると言い。
真実のほどはわからないが、
数千年も続いている人類の尊い財産を保存するために、もう少しなんとかならないものだろうか?
お掃除団を結成しないとね。とにかく悲しい。ピラミッドが語っているようでした。
サッカーラ街道とよばれるこの地は、遺跡群の宝庫。 あちこちにピラミッドや他の遺跡が眺められる。
次に訪れたのは、謎の多い、屈折ピラミッド。
屈折ピラミッドの下に日影を見つけて・・・この後起るドラマなど知るよしもなく・・・・
砂漠の真ん中、なにもないところにそびえるこのピラミッドを望めるところに、屋根付の駐車場。
ここに車をとめて、写真を撮るのが通常のパターンです。
この屈折ピラミッドは、階段があまりに急なことと、補修の関係で長いこと公開していないのですが、
このグループが満足するはずもなく、ピラミッドへ向けて歩き出しました。
ガイドのアムロ君が、「行ってもいいけど、入り口は閉まっていて、入れないよ」
でもね、入り口の鍵は空いていたんです。
ちょっと覗きに入った浅野さんは「真っ暗だし、やっぱり入っちゃいけないよね。」といって戻ってきました。
駐車場にもどり、アムロ君に空いていることを伝えると、彼の態度が一変。
「なんで戻ってきたの。チャンスだよ。行こう。入ろうよ。僕は行くよ。」
彼は車を降りピラミッドに向けて歩き出す。なんで~?
観光はエジプトの国にとって第一の収入源。
そのためにピラミッドをはじめ遺跡は観光客優先で、エジプト人ガイドは中には入れないのだ。
正室の壁画がすばらしく美しいという彼に、なんで知ってるのか?と聞くと、
TVで見た。という落ちにはみなで笑いましたが、彼の先導で改めて屈折ピラミッドに入る事になったのです。
真っ暗、足下はなんかごそごそ、どうも小動物とコウモリの糞らしい。
ものすごい傾斜の急な階段、しかも背中を小さく曲げなくては通れない、
入り口から注ぐ光と、浅野さんの頭につけた電灯だけが唯一の光。
一匹のコウモリがばたばたととびたったとき、ガイドのアムロが大声をあげた、
「やっぱりやめた、こわ~い。みんな外へでて、危険だよ。危ないよ。」
丁度その時、ガードについていた警察官がピラミッドの入り口を閉めてしまった。
辺りはまったく真っ暗に・・。
アムロはエジプト語で大声でどなり、ものすごい勢いでみなの間をすりぬけて出口へまっしぐら・・
さて、どうしましょう。
「どうする?やめる?」いつも全てを決める浅野さんがめずらしく「ぼくはどっちでもいい」と言い。
私は正直、もうやめようよと心で叫ぶ。
「行くよ!」こんな時は、いつもこの人の通る天使の声のひとことに動かされる。
一番後ろにいた私は、マジですか!と思いながらも引き返せないと腹をくくり、また急な階段を全く手探りで・・・
これほんと貴重な経験でした。
たどり着いた先、直角に登るはしごをよじ登り、副室へ到着。
そこには、アムロのいう壁画などなく、どうもその上に隠し部屋のような正室があるらしいのですが、
補修工事の柱があってそれ以上は進めない。
浅野さんの明かりも消し、真っ暗な闇の中でしばしの祈りの時間。
目をあけてもつむっても、同じ闇・・なのだけれど、なんだかぼんやりと光がみえる・・気がする。
クフのピラミッドの中の感覚がよみがえってくるようです。
帰りが又大変、急な階段を背中を曲げて登っていきます。
外の明かりは遙か彼方・・・・ なんという時間だったのだろう。
なんで開いてる?アムロがびっくりして飛びだしたコウモリは、アムロを追い返し、
浅野さんの道案内をするように、奥へ奥へと進んでいったのだそうです。
アムロの役目はみんなを再度あのピラミッドへつれていく事だったようです。
そして階段ピラミッドで有名なジョセル王のピラミッドコンプレックスへ。
しかし暑い暑い、この暑さは、半端じゃない。
太陽が肌をさす感覚。ここが砂漠なんだといやおうなしに自覚させられる。
鞄にいれたミネラルウォーターはすでにお湯。
階段ピラミッド
ジョセル王のピラミッドコンプレックス
ホテルへもどり、しばしの休憩。
私はアムロとレストランへ・・・本日の夕食の打ち合わせです。
メニューを変更し、デザートも調整。レストランも支配人もお客様が少ないせいか、なにかと協力的です。
さて、最後の夕食のセッティングもおわり、 みんなの待っているプールへ行きましょう。・・・
エジプト最後の夜は、アムロも招待して、シャンペンなどもいただきながらこの旅を振り返る楽しい時間でした。
イスラムのアムロはアルコールをいただきません。
おいしく楽しくすごし、デザートの頃、アムロがみんなに感謝の言葉を口にしました。
「今、エジプトは国も大変で自分も心が狭くなっていた。
あの日、正直に自分の気持ちを伝えたくて、でもそれでみんなに叱られたらと思ったけれど、
みんなに褒めてもらって、エジプト人も日本人もみんな違うのだけれど、
心と心は繋がっている。だからそうしてみんなわかり合える。戦争もなくなる。
僕は今回の旅で貴方から(浅野さん)から勇気をいっぱいもらった。あなたの言葉で僕はこれから生きていける。」
こちらこそ、ありがとう。アムロがいたから、この旅がスムーズに行けた。
みんなに感謝、ご縁に感謝。出会いに感謝。・・・・・ ありがとう。
明日は帰国です。
とここで終了、カンパイ~。
魂の旅は、容赦なく最後の最後まで実は続いていくことをこの時、だれも予想していませんでした。
最終日6日目です。
早朝、携帯電話がけたたましいメロディ-を奏で、目を覚ましました、
ちょっと~、何時だとおもってんのとベットから起き上がり、充電中の携帯をとりにとおもいきや、
背中に電流が走った。
バリバリ。。。と音がしたわけではないが、鳴った気がして、しばしその場にへたれ込み、何これ~。
わけがわからない、起きれない。立てない。
這いつくばって、携帯をとり、やっとベット戻ったまままったく身動きがとれなくなった。
どうしよう?ぎっくり腰?何・・・なにが起きた? 痛さはますます激しくなり、息をするのもつらい。
クーラーも切るのも忘れて寝ていたので、足が氷のように冷たい。
バスルームにやっとお湯をはり、精油をおとしゆっくりと身体を温めて。
もっていた湿布をはって痛みと格闘すること4時間、少しだけ起き上がれるようになった。
ピラミッドであまりに無理な姿勢を続けた為の筋肉痛と腰痛がおきたのだった。
帰れないかも?マジ、そう思いました。
何とか荷つくりをし朝食へ。仲間のみなさんに、恥ずかしながら現状を伝えると、
とても強いヒーリング力をもつ(この時まで知らず)一人の仲間に助けて頂き、なんとか歩けるようになった。
いよいよエジプト考古学博物館へ
ここがあのデモが最も激しかったところ、
TVの映像で、テントがはられていた公園はすっかり撤去され、デモの跡形もありません。
博物館に到着すると、周りをぐるりと戦車がとりかこみ、
エジプトへ来てから初めてこの国が大変な状況だったのだと感じました。
館内は撮影禁止。 アムロは心得ていて、私たちに必要な情報をしっかりと伝えてくれる。
そしてそこで、仲間が受け取っていた図形を、カフラー王の台座に見つけたのです。
のんびりツタンカーメンの財宝でも見学しようと全員で黄金のマスクの部屋へ。
入ったときからなにやらみんなざわざわ、ざわざわ・・ふらふらと部屋をでた。
全員でいろんな思いをデイスカッションしたあと、確信した。
もう一度入ろう。
そして、やるべき事をやろうと・・。
これまでは、まったく人がいない状況でしたが、さすがにカイロ博物館。
いつもよりはるかに見学者が少ないとはいえ、これまでとは違い、まして一番人気の黄金のマスクの前。
監視員が何人もいます。
打ち合わせをして、それぞれが役割の場所に立ち、静かに祈ります。
・・でも、みつかっちゃた。
監視のおじさんが、何をしているのかと声をかけてきて、ものすごい形相で追い払う仕草をします。
別に悪いことをしてるわけではないので、おじゃましました~と、部屋をあとにすると、
数人の外国人が追いかけてきた。
「君たちは何をしていたの?」
「この国が平和であるようにお祈りしたの」と答えると、
「そうか~、ありがとう」とやさしい微笑みをかえしてくれた。
心と心通じるよね。
沢山のミイラと対面し、約束の時間にアムロと合流。
いよいよ最後にオールドカイロ、カイロ発祥の地へ。
旅の締めくくりは、原始キリスト教会の流れをくむといわれるコプト教の教会、聖ジョージ教会、
イエスの家族が難をのがれるためにエジプトに渡り、身を寄せた場所と言われる。
ここに赤子のイエスが寝かされていたと言われる場所はガラスで覆われている
元々エジプトは早くからキリスト教が広まっており、イスラム化されている中でも、
コプト教徒がキリスト教を守ってきたのだとか、彼らは普段は外見もイスラム教徒とかわりなく、
宗教行事を行うときだけ、コプト語を使うとか、イスラムとキリストが融合している不思議な空間。
融合・・・実はこれこそが、この旅のベースに流れていたものだった。
仲間のひとりが祈りの最中に受け取った図形は、古代文字で融合という意味だったことは旅の終わり、
カイロの考古学博物館でその記号を見つけ、謎が解けた。
この図形・・・見たことありません? そう、当社のロゴの半分と酷似しているのです。
見えないけれど、実は下にもある。それを意識していかなければいけないね。
なが~い旅の最後に受け取ったメッセージは、とても深いものでした。
一見、これまでとなにも変わらないように見えるかも知れません。
でも深いところで、レイラインの旅は意識が変わっています.流れるエネルギーが違います。
繋がってくださったご縁のあるみなさまに、これからも心と身体が癒され、
生きる力が涌いてくる そんな旅をお届けしたいと思います。
見つけてくださって、誘ってくださったみなさまに感謝。
エジプト行きを支えてくれた、家族・スタッフに感謝
現地でさまざまに関わってくださった方々に感謝 ありがとうございました。
そして、なが~いブログ。お付き合いくださってありがとうございます。